レポート

東京農工大学では、2014年から「グローバル科学技術人材養成プログラム(IGSプログラム)」をスタート。自立的に成長し、グローバルに活躍できる科学研究者・技術者を育成する高大接続のあり方を開発し、実践・検証していくさまざまな取り組みを展開してきた。プログラム運営を通じて構築した全国の高校との密接なネットワークを活用し、さらなる高大接続の可能性を模索している。
自立的に成長できる研究者・技術者を育成
国際的競争力のある研究を目指す東京農工大学では、AP事業の採択を受けた2014年から「グローバル科学技術人材養成プログラム (IGSプログラム)」をスタートした。IGSとは、Introduction to Global Scienceの略。大学入学を目指す高校生が抱いた自然科学に関する興味・関心を大学入試で分断されることのないよう、高校教育と大学教育のスムーズな接続を図るのが目的だ。さらに、高校から大学、大学院教育までつながる視野の広い科学研究者・技術者の人材養成システムの構築をめざしている。グローバル教育院の藤井恒人教授はこう語る。
「高校の理科の授業では、実験や実習の時間が十分に確保できていないのが実状です。生徒が興味・関心を抱いた事象に対して仮説を立て、実際に試行し、結果を論理的に考える時間が足りず、実験・観察を通して理解されるべき科学的リテラシーも身につかないまま入学してくる学生が多くなっています。また、高校で学んだ知識が、大学の専門的な研究や実社会の課題解決にどのように結びつくのかがイメージできない学生も目立ちます。大学・大学院で自主的に科学的課題研究に取り組み、社会に出てからも自立した研究者・技術者として活躍できる人材を育成するために高校生の段階から何ができるか考え、IGSプログラムを設計しました」
目指したのは、「知識、経験を応用して運用する力」「科学的、論理的、批判的に思考する力」の醸成。そのため、高校時代に、大学の研究、社会の課題解決に実際に取り組む機会をつくり、「気づき」を与えるプログラムを考えた。

科学の社会的役割を認識しその手法を実感する教室
プログラムの中心となるのは、「IGSプログラム (高大連携教室)」。これは、夏季(1日)、冬季(1泊2日)、春季(1泊2日)の年3回開催する高校2年生を対象にした科学系の体験教室だ。
参加した高校生たちが、最初に取り組むのが「地球の課題解決のためのグループワーク」。食料問題、エネルギー問題、環境問題など地球規模の課題をテーマに、同世代の仲間と一緒に意見を出し合い、科学的な解決方法を模索する。グループワークの最後には、自分たちの意見をまとめて、参加者の前でプレゼンテーションに挑戦。自分の考えを他者に説明することの難しさを知り、その過程でさらに課題が明らかになるサイクルも体験できる。また、グループワークのファシリテーターを現役の農工大生や留学生が担当するのもポイント。先輩とのコミュニケーションも貴重な学びの機会となる。
「高校で学んだ数学、理科、英語、国語、社会の学習が世の中の課題とどう結びつくのか。結果としてどう課題解決できるか。さらに、課題解決の方法は、どの大学や学部で研究できるか……そんなことを考える機会にしてほしいですね」(藤井教授)
IGSプログラムでは、英語のみで行う授業「Science English」や大学で学ぶ留学生との交流を通じて、科学者や技術者が国境を越えた課題解決に取り組む様子を知ることができる。高校生たちは、ここで大学の研究にはグローバルな視点や国際的なコミュニケーション能力が不可欠であり、その共通言語として英語が必須であることを学んでいく。「Science English」を担当するグローバル教育院の伊藤夏実准教授はこう語る。
「研究活動に国境はありません。『Science English』の授業は、単なる英語力の習得ではなく、英語をツールとした科学的な思考訓練や国際的に通用するコミュニケーション能力の基盤づくりが目的です。また、指示を待つだけではなく、目標に到達するために自分なりに工夫したり、限られた時間で有効な策を練ったりする訓練を通して、その後の大学生活でも役立つ力を身につけられるプログラム構成になっています」
さらに、大学の基礎実験科目で学ぶ物理、化学、生物、情報などの実験・実習の時間を設け、高校の学習内容が大学の研究の基礎になっていることに気づいてもらう機会も用意している。参加者からは、「理科は暗記科目だと思っていたかが、実験で定理や法則を導くことが体験でき、学んだ知識が社会に役立つのだと初めて実感できた」といった声が上がっているという。
独自のルーブリックやポートフォリオも開発
IGSプログラムでは、高校生の評価指標に「ルーブリック」を用いている。これは、同大学が養成を目指す科学研究者・技術者の人材要件を整理したもので、「興味、関心、課題意識」「新しい価値の創造」などの全11項目について、4つの評価基準を設定した。このうち、「指示順守行動」までが高校生の到達イメージだ。これらの身につけてほしい力は、各授業の目標として示している。
「ルーブリックは本学教員が作成した案を基に、本学教員と高校教員からなる『高大連携協議会』で形にしました。現在は本教室のみでの活用ですが、今後は高・大での評価の目線合わせに活用していきたいと考えています」(藤井教授)
さらに、高校生自身が高校と大学での学びを接続できるように開発したのが、「科学技術人材ポートフォリオ」だ。参加者は、「IGS高大連携教室」だけでなく、高校の授業で学んだこと、個人の課題研究の成果、将来の目標なども記録できる。このポートフォリオは今後、特別入試等で大学が受験生の多面的な能力を評価して選抜する際の応募資料として活用することも想定している。
IGSプログラムは入学後も引き継がれる設計になっている。学部の初年次教育では、高校までの学びを大学教育に円滑に接続させるため、選択科目として「『理系学生』のためのキャリアプランニング入門」を開講。高校、大学で学修する科学分野の専門知識、思考方法が、社会にどう貢献できるのかをアクティブラーニング形式で学ぶ。その延長で自身のキャリアプランを考え、逆に学生時代に身につけておくべき能力を理解することを目指している。
生命工学科という理想の進学先と出合えた
工学部生命工学科2年 中島深雪さん
埼玉県立浦和第一女子高等学校出身
AP事業採択から5年が経過し、高校時代にIGSプログラムを経験し、東京農工大学に入学した学生も増えてきた。工学部生命工学科2年の中島深雪さんもそのひとりだ。
「高校の理科の先生から、東京農工大学に興味があるなら……と声をかけられたのが、IGSプログラムを知ったきっかけでした。高校2年終了時の春に2泊3日の合宿形式のプログラムに参加し、実験やグループワークに取り組みました。印象に残っているのは、実験でDNA鑑定に挑戦したこと。このとき指導をしてくれた工学部生命工学科の先生のアドバイスで、将来の進路選択の幅が大きく広がりました」
もともと医薬品の開発に興味があった中島さん。高校の進路指導などを参考に、応用化学系を中心に進学先を検討していた。しかし、IGSプログラムに参加し、東京農工大学の工学部生命工学科に自分の興味・関心のある研究テーマがあると知り、進学先を検討する際の視野が広がったという。
「生命工学という学びの分野と出合えたのは大きな収穫でした。さらに留学生との交流や英語プレゼンに挑戦した経験は、大学のグローバルな環境を知る絶好の機会にもなりました。ヨーロッパはもちろん、アジアやアフリカから来た留学生の先輩たちもみんな流暢な英語を話しているのに驚き、自分も頑張らなければ!とエンジンがかかりました」
中島さんは現在、工学部生命工学科で、創薬の基礎研究に取り組むための幅広い知識修得に励んでいる。
ファシリテーターとして学びの意味を再確認
農学部 環境資源科学科1年 中島翼さん
横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校出身
農学部環境資源科学科1年の中島翼さんは、IGSプログラムを経て、東京農工大学に進学し、現在は「IGS高大連携教室」のファシリテーターを勤めている。
「高校2年次に、全3回のプログラムすべてに参加しました。もともと実験や発表に積極的に取り組む科学系に特化した高校に通っていたので、鍛えたスキルが大学でも通用する!という手応えを感じました」
印象に残っているのは、食料問題やエネルギー問題をテーマにしたグループワーク。メンバーとして参加したグループは、プレゼン賞も受賞した。そのとき、議論を見守ってくれたファシリテーターの先輩学生と話して、この大学は自分と雰囲気が合いそうだと確信したという。
「その影響もあり、東京農工大学に入学できたら、自分もファシリテーターをすると決めていました。いざやってみると自分の意見を極力おさえて高校生たちの考えを引き出す進行役の難しさを実感しています。それでも後輩にアドバイスをしながら、自らも大学の学びや研究の意味を再確認するいい機会になっています。さまざまな活動に参加しながら、自分も興味の幅をどんどん広げていきたいと思っています」
高校側の期待に応えプログラムを継続
「本校の多くの生徒がIGSプログラムのリピーターになっています。参加した生徒たちは科学的思考力、協働性、情報収集力、文章を書く力などが抜群に鍛えられています。本当にありがとうございました」
IGSプログラムを担当するグローバル教育院には、高校の教員からこんな感謝のコメントも寄せられるようになった。藤井教授は、IGSプログラムの今後の展望をこう語る。
「プログラム運営を通じて、高大接続に関する多くのデータが集まっています。大学側がこの成果を分析し、さらなる高大接続の可能性を模索したいと考えています。また、日本全国の高校の先生との密接なネットワークも構築できました。高大接続で一番大切なのは高校と大学の信頼関係。互いの教員がいっしょになって、科学に対する興味、関心を持つ生徒、学生を継続して育てるプログラム、教育制度の充実に発展させていきたいと考えています」
東京農工大学
世界が認める「研究大学」へ
1874年(明治7年)創基。農学部・工学部を擁する理工系の国立大学。地球レベルの課題に挑む「理系グローバルイノベーション人材」の育成を目標に掲げ、国際競争力の高い研究に取り組んでいる。海外留学支援、留学生の受け入れなど国際教育交流にも積極的で、世界が認める「研究大学」をめざし、学部生・修士・博士の各課程で先進的な教育改革を進めている。